ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク監督によるオペラ映画「パルジファル」。(英語字幕)
ブツ切れの再生リストなので少々見づらいが、以前あった長い動画がなくなってしまった。(下記追記あり)
この映画はワグナーの「パルジファル」を、ナチスの全体主義がドイツを支配していく様に読み替えた作品らしい。たしかにモンサルヴァート城には鉤十字の旗が翻ったりしているが、演出自体は別にゲシュタポが登場したりすることはなく、ごくオーソドックスな舞台と衣装である。
さてパルジファルの最大のお楽しみシーンと言えばもちろん「花の乙女達」の場面だが、 様々な意匠をこらした美しい女性達(音声別録りなので全員若い美人)が、じっと岩に張り付いて歌う。
・・・・・なんで?植物の精だから?くんずほぐれつとかしないの?映画なのに??
まあトップレスが数人混じってるのでそこまでやると過激すぎるか。残念!
この映画は映画のフォーマットを生かしているのか生かしていないのか微妙なのだが、「クリングゾルが放った槍をパルジファルが受け止める」というシーンは、特殊効果をあきらめてクリングゾルがただ槍を落として倒れるだけである。おいおい舞台でも頑張って実現している演出はあるぞ。
そしてさらに問題のシーンだが、これはネタバレになるかもしれないがあらかじめ知っておかないと混乱必至である。パルジファルは覚醒してすぐ女性化する。それも映画のくせに「変身シーン」も何もなく、ただ少女の役者が出てきて入れ替わるだけである。これをクンドリーは誘惑しようとし、 グルネマンツは「あの愚かな若者ではないか!」などと言ったりする。しかも少女が演じているのに声は変わらず同じ男性のテノールだ。
シュールだ。シュールすぎる。この少女パルジファルは別に少年パルジファルと顔も似ていなければ髪型も衣装も違っていて登場からして別人ときている。しかしこの「神聖舞台祝典劇(パルジファル専用ジャンル)」は悪玉クリングゾルをぶっ倒してからあと半分くらい残っているのである。つまりあれは別にクライマックスじゃくて単なる前フリ。その後に続く神聖なる祝典の1時間半ほどこの少女がテノールの声で歌い続ける。
観てる方は映像のシュールさに混乱させられながら段々この異様な状況に慣れ始める。力強いテノールで歌うきれいな顔の女の子に超越性を感じ始めるのである。そうだよな、あんなエラの張った若造よりこっちの方がいいよな!
聖杯というのはキリストが最後の晩餐に使った杯で、ただご開帳するだけでその場にいる者みんな長生きできるという超絶アイテムである。聖杯領の王はこの聖杯を守り、その祝福を受け、神をも助ける存在だ。この無茶設定に大衆を引き込むのに必要なのは完全性と耽美性である。英雄は女性の姿を得ることで完全体になる。「純潔を守る男性」なんていう気の毒な境遇では民衆を全体主義の熱狂に叩き込めないということか。「二人で一人」という映像設定はシステムの支配を表しているのか。
1983年公開のこの映画は現在廃盤で上記Youtubeで見るしかない。ワーグナーの筋書きは細かいとこ突っ込んだらきりがないのだが、久しぶりにパルジファルを観てまた色々気付かされた。グルネマンツはなんで終始クンドリーに優しいんだろうな。映画では特にそこが強調されている。
その老騎士グルネマンツは歌唱は素晴らしいがやけに若いイケメンが演じている。これは歌ってる本人のバス歌手だ。そして美しくはあるが少年を誘惑するには少々歳が行き過ぎている(失礼)クンドリーは、役者だ。素晴らしい演技のアムフォルタスは、実は指揮者だ。データを調べてみると色々と衝撃的だな。
「パルジファル」はワーグナーの作品の中ではやや冗長というか変化に乏しいのだが、音楽的圧力がすさまじく、BGMにかけておくはずが見入ってしまって半日飛んでしまった。
話は単純なのであらすじだけ読んでおくか、音声+日本語字幕の動画が上がっているのでこれで予習することもできる。
ワーグナー《パルジファル》第1幕 クナッパーツブッシュ指揮(1951)
ワーグナー《パルジファル》第2幕 クナッパーツブッシュ指揮(1951)
ワーグナー《パルジファル》第3幕 クナッパーツブッシュ指揮(1951)
ちょっとおふざけ入ってる対訳だがブックレット読みながら聴くよりはずいぶん楽だ。
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追記:
一番上の再生リスト形式の動画も少し前にすでに消されてしまっている。絶版の映画をなんでちくちくチクるんだヨー!と思ってたら海外ではすでに再発されていた。
→ amazon.uk(英)Parsifal - 2-DVD Set
やっぱり困ったときはamazon.ukですな!日本やamazon本家(米)では旧版に変なプレミアがついている。海外amazonも登録の方法は同じで送料も日本のマーケットプレイスと同程度だ。
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