2013/11/19

トゥーランドット聴き比べ

プッチーニのオペラ「トゥーランドット」はエキゾチックで豪華な舞台設定と音楽、キラーコンテンツなアリア群で人気のオペラである。しかし矛盾をはらんだ物語や、プッチーニが未完のまま死んでしまったことなど等々から演奏者や演出による印象の違いも大きい。同じ音楽、同じ歌詞でも登場人物の印象ががらりと変わってしまうのが面白い。


ビルギット・ニルソン-フランコ・コレッリ盤

ビルギット・ニルソン(トゥーランドット)
フランコ・コレッリ(カラフ)
レナータ・スコット(リュー)
グイド・マッツィーニ(ピン)
フランコ・リッチャルディ(パン)
 ピエロ・デ・パルマ(ポン、ペルシャの王子)
ボナルド・ジャイオッティ(ティムール)
フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ(指揮)
ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団
1965年録音

「~盤」というのはもちろん正式名ではなく、あくまでここで便宜上使う勝手名称である。

モリナーリ=プラデッリによる指揮はしっかり緩急の付いた、いわゆるオペラ的なものだ。そしてやはりイタリアらしいと言うべきか、言葉が常にはっきり聞き取れるよう発音されている。これは合唱でも徹底されていて、歌は音楽以前にまず物語として成立するよう、声の演技が重視されている、いわば演劇的な演奏と言える。

このオペラは中国と称する架空の国(?)で変な奴らが変なことをするという話である。当然筋書きに納得行かない人は多いだろう。 そこに説得力を与えられるかどうかは歌手の力にかかっている。

ビルギット・ニルソンの神々しい声は大帝国を実質統べる皇女の威厳を十二分以上に備えているし、リューのレナータ・スコットももちろん素晴らしい。しかし彼女らはあくまで「状況」に過ぎない。最初から最後までいて大状況を覆し、最後に栄冠を勝ち取るのはカラフである。彼がこのオペラの主役だ。

カラフという役には様々な要素が求められる。まずかつての中央アジアの覇者、ティムール帝国の御曹司(※当然そんな史実はない)という気品と誇り、高貴な身分にもかかわらず単身流浪して立派に生き抜く才覚と勇気、そしていざとなれば命を投げ出す潔さ。知力・体力・人間性を最高度に兼ね備えたスーパーマンである。

中国の皇女トゥーランドットは「カラフと同じような」外国の王子を、自らの体と皇帝の地位をエサにおびきよせて殺戮している(※謎々に答えられれば婿にするが答えられなければ殺す。)。カラフは最初それにに対して「姫を罵ってやる!」と憤っているのだが、彼女の姿を一目見たとたんに豹変し、「皇帝になれるか、さもなくば死」の超絶クイズに勇んで挑戦することにする。

これを単に「色香に迷った」と解釈してはなるまい。彼はかつての大帝国の主、国を追われ落魄した父ティムール(※もちろんそんな史実はない。)を、再びそれにふさわしい境遇に戻してやりたいと願っている。しかし今から徒党を集めて旗揚げしても、小国のひとつでも築く頃には父の寿命は尽きているであろう。トゥーランドットを見た時、彼は今これが命を賭すべき挑戦だということを悟る。だからこそ彼はティムールとリューの必死の説得に耳を貸さないし、自分の行動の結果リューが犠牲になってもそれを受け止めて前進することができるのである。

もちろんこんなことは劇中に語られていない。そう感じるかどうかは歌手次第である。 フランコ・コレッリの「トランペット」と称される輝かしい声は力強さと高貴さを兼ね備えている。少し粘っこい歌い回しと隅々まで敷き詰められたヴィブラートは古風ではあるが、端正で抜群の安定感がある。無謀な挑戦に突き進むにあたって一分の迷いもない英雄の歌である。重要なのはそれに加えて人間的な暖かさと情熱を感じさせること。コレッリのカラフはリューが身を犠牲にするに値するカラフだ。



マリア・カラス盤

マリア・カラス(トゥーランドット)
エウジェニオ・フェルナンディ(カラフ)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(リュー)
マリオ・ボリエッロ(ピン)
レナート・エルコラーニ(パン)
ピエロ・デ・パルマ(ポン)
ニコライ・ゲッダ(ティムール)
トゥリオ・セラフィン(指揮)
ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団
1957年録音

トゥリオ・セラフィンの棒は新古典主義と言うべきか、あまり粘ったりせずスコアに忠実にテンポ通りサクサク進む指揮ぶりである。プッチーニの音楽はとろけるようなメロディに幻惑されがちだが、実は高度なリズムとハーモニーの構成の密度が濃い。通常コミカルさが前面に出されがちなピン・ポン・パンの道化トリオも、この演奏ではその丁々発止の格好良さにしびれる。

そのぶん音楽的にはやや間延びする2幕や「プッチーニ後」の3幕終盤がタルいのだが、1幕と3幕前半の畳みかける緊迫感には比類がない。あくまで音楽優先の演奏で、古い録音ではあるが個人的に最も愛聴する盤である。

トゥーランドットという役はまず中国の皇女、なぜか一人娘であるようで強大な権力を持っている。そして遠い過去に自国が異民族に蹂躙された際に皇女達に起こった悲劇に身も心も引き込まれ、今自分が外国の王子達を殺して回ることで彼女らの復讐を果たそうとする、立派なサイコさんである。

こんなキャラクターに感情移入できる人がいるのか?マリア・カラスのトゥーランドットは歌の力によるその一つの解答になっている。カラスの声はドラマティックではあるが、今にも張り裂けそうな危うい繊細さが同居している。激情と細やかさ、狂気と至誠を同時に表現できる人である。

そんなカラスのトゥーランドットは、あまりに鋭い感受性と激しい感情を持って生まれてきた深窓の姫君に聴こえる。そんな人があの立場に生まれてくればああなるのは仕方がない。そんな人だからリューがかなわぬ愛のために身を犠牲にするのを見て、心の底から衝撃を受けるのである。

そのリューを歌うのはなんとエリーザベト・シュヴァルツコップ。これをミスキャストという人もいるが、たしかにこの空間にドイツ的硬質感は異質ではある。しかしリューはただ可憐で健気で無垢な少女ではない。「一度ほほえんでくれた」だけでカラフに身も心も捧げ、そのカラフが死んだと思われた状況では今度はその父に仕えて地の果てまで旅するど根性娘である。

トゥーランドットとリューは皇女と奴隷と身分こそ遠く隔たってはいるが、精神の強烈さでは並び立っている。だからこそ目の前で死んでみせることで氷の姫君の心の奥底をすっかり入れ替えてしまうのである。 文句なしに主役級のシュヴァルツコップはトゥーランドットに堂々対抗できる力をリューに与えている。

そして肝心の(?)カラフ役のエウジェニオ・フェルナンディは、端正ではあるが少々影が薄い。しかしこれでいいのである。ここまで強烈な女達にはさまれた彼の役割は、もはや物語進行役だ。このキャスティングがどこまで意図されたものかは分からないが、この演奏における「トゥーランドット」は二人の女の物語である。



カラヤン盤

カーティア・リッチャレッリ(トゥーランドット)
プラシド・ドミンゴ(カラフ)
バーバラ・ヘンドリックス(リュー)
ゴットフリート・ホーニク(ピン)
ハインツ・ツェドニク(パン)
フランシスコ・アライサ(ポン)
ルッジェロ・ライモンディ(ティムール)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団
1981年録音

カラヤンの志向が前面に出たこの盤は通称「カラヤン盤」と呼ばれる。トゥーランドット役は普通ワグナーを主なレパートリーにするようなパワー系のソプラノが選ばれることが多いが、なんとここにリッチャレッリ。カラフのドミンゴを始め、その他の脇役陣にも美声で鳴らす歌手をそろえたキャスティングである。

この盤でカラヤンの取るテンポは全体的にゆっくりとしており、時に非常に遅い。 息もつかせぬ30分のはずの第1幕は、いつまで経っても終わる気がしない(笑)。この全編ゆったりしっとりとした棒さばきによりドラマ性や緊迫感は失われるが、代わりに浮かび上がってくるのはプッチーニのスコアの美しさ。カラヤンは音楽とは美しければそれでいいと思っているようだ。実際この盤で聴くと、ここはこんなに美しかったのか!と再発見する箇所が沢山ある。

ライブ録音やライブ演奏に主眼を置いた録音の上記2枚と違い、ここでは録音作品としての完成度を目指されているようだ。歌が交錯する場面では各声がはっきりと聞き分けられ、逆にピアニシモは限界まで攻めていて本当のささやき声まで使われる。演劇性やライブでの演奏効果よりも、あくまで音楽の表現自体に重点を置いた演奏である。

さてこのオペラはニルソン-コレッリ盤ではカラフの英雄譚、カラス盤ではトゥーランドットとリューの物語に聞こえた。個性豊かな名歌手達は己の力量でこの奇妙な物語を自分の側に引き寄せ、観客を説得してきた。
ではカラヤン盤ではどう聞こえるか?というと、これは「典礼劇」に聞こえる。目の前で繰り広げられるドラマが今起こっている話ではなく、遠い昔の物語の再現劇に聞こえるのである。

各歌手はさすがに名手ぞろいであるから声の演技力は申し分ない。しかしカラヤンの紡ぎ出す夢幻的な世界によって、彼らは生の人間というより神話の登場人物と化す。そもそも世界各地の神話に理不尽な話は数多い。しかしなにせ神様達がやったことだから文句は付けられない。
「トゥーランドット」の筋書きは普通に聞けば、「イカれた皇女に夢中になるバカ王子が健気な少女を犠牲にして結ばれめでたしめでたし」というとんでもない話だ。この理不尽な展開も、この盤では夢のような音楽に包まれて全てが遠い神話の物語となり、粛々と進められていくのである。


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