2017/12/31

曲解!グリム童話の闇を暴く!前編

2017年5月に知り合いのアマチュア吹奏楽団に頼まれて演奏会のためにチラシ用と、演奏中にプロジェクターで映す用の各イラストを描いた。(ついでになぜかユーフォニアムで出演した)

その曲はヤン・ヴァン・デル・ロースト作曲の『Grimm’s Fairytale Forest(グリム童話の森)』で、この曲には4つのグリム童話「金のかぎ」「赤ずきん」「ルンペルシュトルツヒェン」「眠り姫」の各話がモチーフになっている。
実際演奏したのは15分にまとめられた演奏会用作品だが、元は1時間に及ぶ音楽劇 である。

グリムの童話の森(作曲:ヤン・ヴァンデルロースト) | 吹奏楽マガジン Band Power

この曲は序曲に続いてどの部分もそれぞれの話の各場面を表している。イラスト制作のためのリサーチとして音楽劇バージョンや童話を調べたりしたが、その中で様々な疑問点が湧き上がってきた。この4つの物語を選んだヴァン・デル・ローストにはどういう意図があったのかわからないが、どれもこれも一筋縄ではいかないお話ばかりなのである。

グリム童話に変な話は多い。そもそも民間伝承には不条理な話は多く、グリム兄弟はあれでもソフィスケートして改変したのだが、それでもグリムやそれ以前の時代が持つ現代とは違う世界の恐ろしさが垣間見える瞬間がある。

というわけでネタとしてはかなり今更感はあるが、邪推に邪推を重ねて「ここがヘンだよグリム童話」をやってみようと思う。


1)金のかぎ



【あらすじ】

貧しい少年が冬空の下で薪集めをしていると雪の中に金の鍵を見つけました。さらに雪を掘ると鉄の小箱が見つかりました。少年は小箱に鍵穴を見つけて鍵を回します。 私達は少年が小箱のふたを開けるのを待たなくてはなりません。小箱の中にはどんな素晴らしいものが入っていることでしょう。
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グリム童話集の最後に収録されている短い話。最後は読者に語りかけるメタな話になっている。「パンドラの箱」を連想するがこちらはポジティヴな雰囲気になっている。

 

この話は全体のエピローグとして創作されたものだろう。「終わりの話」ではなく「始まりの話」になっているあたりが小粋である。魔法の小箱とはまさにグリム童話集のことであろうし、自らの著作には自信もあったのだろう。しかしそのレースのカーテンの裏には現代の目から見れば魑魅魍魎と言うべき原始のうごめきが垣間見えるのである。


2)赤ずきん



【超あらいあらすじ】

赤ずきんと呼ばれた女の子がいました。赤ずきんは森のおばあさんの家にお使いを頼まれますが一匹の狼に出会い、そそのかされて道草をします。その間に狼はおばあさんを食べてしまいました。赤ずきんがおばあさんの家に着くと、狼はおばあさんのふりをして赤ずきんをおびき寄せて食べてしまいました。たまたま近くにいた猟師が気付いて狼を撃ち殺し、二人は助け出されます。
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おなじみ赤ずきんちゃん。日本では人をだますのは狐か狸だが、西洋では狼である。狼は獰猛なだけでなく臆病でもあり狡猾でもある。赤ずきんの狼にはそういう狼の特質がよく描かれている。

しかしその行動はちょっとおかしい。赤ずきんを喰いたきゃさっさと喰えばいいのである。婆さんも喰いたいのならその後喰えば良い。婆さんを先に喰って待ち伏せするのならドアの所で喰えばよい。なぜわざわざ変装する必要があるか?

この狼は現代の作品でもよく出てくる「わるいこと」をするのが目的の悪役、主人公に被害を与えるためだけに出てくるキャラクターである。そして役割の都合で希薄になる主体性を強調するためにことさら貪欲さが強調される。

イラストを描くに当たって困ったのはラストのシーンで、一般的な物語では赤ずきんと婆さんは狼の腹を裂いて救出される。それをまんま絵にするとこうなる。

 

狼は人間2人を呑み込むのだから通常の大きさではないはずだが、これでもかなりサイズ的には無理があって、この口では人間を「丸呑み」するのは難しい。しかしあまり巨大にするとそもそも人間とコミュニケーションできるサイズではなくなるし、婆さんに化ける設定に無理が生じる。(いやそもそもサイズ関係なく無理だよ)



結局ラストシーンは元の童話のバリエーションから「喰われる前に猟師に助けられる」バージョンを採用した。お子様含む老若男女集う昼間のコンサートで血飛沫舞う肉片を映すわけにもいくまいて。



この不思議な「狼」を考えるに、やはりこれは架空の存在と考えるのが妥当であろう。そりゃ当たり前だ、と今言ってるあなたではなく赤ずきんにとっての架空である。つまりこの狼なるものは実は人間なのである。なぜなら狼の口喉は人語を発声できる構造ではないからだ。(もうこのノリはいいか)

例えばこういう事情が考えられる。
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ある盗賊が赤ずきんに話しかけて婆さんの家の場所を知る。 盗賊は婆さんを殺して金品を奪う。盗賊がしばらく婆さんのふりができたのはおそらく赤ずきんが視覚障害を持っていたためだろう。だから日頃はあまり外出できず、この日も寄り道しないようきつく言われていた。赤ずきんは盗賊に陵辱されるが猟師が盗賊を撃ち殺して救出される。心に深い傷を負った赤ずきんは「自分は狼にだまされ一度食べられてしまったのだ」と解釈する。
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これで丸く収まった(?)ように思えるが、別の解釈も考えられる。なぜならこの童話の「教訓」は「寄り道をしてはいけません」であるからだ。しかしこれは狼に喰われるという超展開やその裏にあった(?)悲惨な出来事の結論としては軽すぎるような気がする。

 寄り道とはなんであろう?人生の寄り道をして踏み外すこともある。何が「踏み外し」になるか?その基準は社会によって異なる。もしかしたらあの「狼」は悪逆非道な盗賊などではなく、無垢な若者だったかもしれない。そして赤ずきんとの逢瀬の時に誤解から撃ち殺されてしまったのかもしれない。

グリム童話には古い社会が持っていた恐ろしい抑圧の影が潜んでいる。しかしこれはまだ入り口でしかないのである。


3)ルンペルシュトルツヒェン



【ところどころ端折ったあらすじ】

ある所にホラ吹きの粉屋の親父がおり「うちの娘は藁を金に変えることができる」とホラを吹きました。それを聞きつけた王様は娘を藁を積んだ納屋に閉じ込め「朝までにこの藁を全部金に変えよ。見事出来れば后にしてつかわす。出来なければ殺す」と言いました。娘が納屋で泣いていると小人が現れて「お前が将来生む赤ん坊を渡すのならこの藁を金に変えてやる」と言いました。娘が承知すると藁は全部金に変わり、娘は王妃として宮殿に迎え入れられました。
やがて赤ん坊が生まれると小人がやってきて約束通り赤ん坊を渡せと言いました。元粉屋の娘の王妃はそれだけはやめてと泣いて懇願します。小人は「では3日の間に俺の名前を言い当てたら許してやろう」と言いました。しかし思いつく限りの名前を出しても小人の名前を当てることが出来ません。
すると王様がこんなことを言いました。「森で変な歌を聞いた。♪誰も俺様の名がルンペルシュトルツヒェンだとは知るまいて、と歌っているんだよ」。3日目に王妃が小人に「あなたの名前はルンペルシュトルツヒェンね」と言うと小人は「なぜわかった!悪魔に聞いたのか!」と叫んで憤りのあまり自分の体を引き裂いてしまいました。
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この話は端折ってもけっこう長くてディテールが細かい。まず読んで感じるのは悪役扱いの「小人」がちょっと気の毒だということ。子供を渡せというのはたしかに非道ではあるが、基本的に約束を守っている側であり、譲歩までしている。そして「条件設定的キャラ」とでも言おうか、平たく言えばご都合主義的に立ち回る「王様」の行動が謎すぎる。人間として自然なのは粉屋の娘(=王妃)だけで、あとはことごとく不自然だ。

まずルンペルシュトルツヒェン(以下ルンペル)が代価として娘に要求するのは(金の)指輪、ネックレスそして赤ん坊という順番なのである。これは娘が指輪とネックレスは拒否して赤ん坊は承諾するパターンと、まず指輪で承諾して藁を金に変えると王様がさらに大きな納屋に娘を閉じ込めて同じ命令を下すのを繰り返すというパターンがある。後者の方が話としては自然ではあるが、どちらにしても藁を金に変える能力を持った者が金の指輪やネックレスを欲しがる理由がわからない。買えばいいだろ、その藁金で。(もっと言えば時代背景的に赤ん坊も金でなんとかなるはず。)

そしてもっと奇妙なのは王様だ。この男は粉屋のホラを信じたのか?おそらくそうではあるまい。愚かな男が自分のつまらないホラで娘が殺されて泣くところを見て嗤ってやろうとしていたのだ。そしてこの地獄の藁→金チャレンジが成功してしまうと、こんな貴重な女を他人に渡す手はない。そこで王妃として自分のものにしてしまうのである。

そしてこの男は王の身ながら「森でルンペルの歌を聞く」という状況に偶然遭遇する。



単なるご都合主義的展開、という要素を省いて現実的に考えれば、これは国内に情報網を張り巡らしていると考えられる。そもそも王とはいえ、宮廷のしきたり等々無視して粉屋の娘をいきなり王妃に迎えることができるのは相当な独裁体制を敷いているからだろう。この男は粉屋の件と独裁体制を確立する手腕から頭脳明晰かつ冷酷非情なサイコパス的素質があると考えられる。

そして舞台は第3幕へ移る。名前を言い当てられたルンペルは憤りのあまり自らの体を引き裂いてしまう。いやいや、そんなこと、できるわけ、ないじゃない。



おそらくこの話は、差別されてきた人が正当な代価を求めた時に「生意気な!」と惨殺されてしまった話なのだろう。その下手人どもは「こいつ子供を渡せと言ってきたんでげすよ!いくら約束だからってねえ!」と言い訳し、あげく「こいつ自分で自分の体を引き裂きやがったんでさあ」と手を下したことすら隠蔽しようとする。

この『ルンペルシュトルツヒェン』は普通に読んでも引っかかり、理由を考え始めると陰惨また陰惨な物語である。イラストにするにあたってはそうした要素を誤魔化すため、ルンペルにはことさらに沈んだ色の肌に白目、尖った耳、長い爪と牙と、あたかも人外の存在であるかのように描いた。しかし本来彼はただの「小人」なのである。許せルンペル。

あまりにも長くなってきたので続きは後編へ。

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