2018/01/01

曲解!グリム童話の闇を暴く!後編

前編の続き。

とある演奏会用に頼まれたグリム童話のイラストを描きながらわしも考えた、シリーズ後編。グリム物語の不条理さの理由を考えていくと恐ろしい事実が次々と浮かび上がってくる。そして最後の『眠り姫』が暴くのは、現代にも、いや時空を越えて全世界・全時代に普遍的に存在する、人間の甘っちょろい願望なのである!


4)眠り姫 



【本当にあらいあらすじ】

むかしむかしある王国で王女が生まれました。国中がお祝いし、森から12人の魔法使いがやってきて王女に魔法で祝福を与えました。すると宴会に呼ばれていなかった13人目の魔法使いが突然やって来て「王女が15歳になった時に死ぬ」呪いの魔法をかけていきました。12人の魔法使いは必死でこの死の魔法を食い止めて「100年の眠り」に変えました。
15歳になった王女は眠りにつきます。王様や王妃様、衛兵たちもみんな眠りにつき、 城はいばらでおおわれました。このいばらは誰も寄せ付けず、城に入ろうとした者はみんな絡め取られて死んでしまいました。
100年の年月が流れたある日、とある国の王子が城に入るとといばらは自然に道を空けました。王子が眠り姫にキスをすると姫は目覚め、王様や王妃や城の全員が目を覚ましました。そして王子と姫は結婚し末永く幸せに暮らしました。
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この物語は眠り姫、別名いばら姫とも呼ばれる。『ルンペルシュトルツヒェン』も昔話としてはディテールが細かい話だったが、これはそれ以上で、条件設定が細かく精緻に出来ている。特に姫が眠りに落ちるまでの前半部分はまるで近代の創作物のようだ。少なくとも全部が全部民間伝承ではないのは確かだろう。12人の魔法使い、呼ばれざる13人目の黒魔道士、100年の眠りとなかなか盛り上げ要素がある。

あらすじでは端折ったが、前半部分のディテールとして、黒魔道士は死の呪いとして「王女はつむぎ車の錘(※)に刺されて死ぬ」という予言を行う。このため王は国中のつむぎ車を捨てさせるという小イベントがある。しかし姫が15歳を迎えた日、塔の上でなぜか糸を紡いでいる老婆がいて、興味を惹かれた王女が近づいて刺されてしまう。

※ これ

出典:http://imakoco.jugem.jp/?eid=921

思うに、この物語の元々の中核は後半の「いばらに囲まれて眠っている姫が王子のキスで目覚める」という部分だけなのではないだろうか。たぶん純粋な民間伝承として存在するのはこの後半部分だけで、前半は後から付け足して創作されたのではないかと考えられる。なぜなら後半のざっくり具合に比べて、前半部分はちょっと巧いこと出来すぎているのである。

おそらくこの原型の話を気に入った男(男だろう。理由は後述参照)がいて、自慢の筆力で色々書き足して豪華な物語にしようと目論んだ。 しかしそのせいで肝心の後半部分と辻褄が合わなくなっている。


強力過ぎる残留魔法


白魔道士たち(最初に祝福を与える12人の魔法使いを便宜上こう呼ぶ)は、黒魔道士(13人目のハミゴの魔法使い以下同)が姫にかけた「死の魔法」に対抗してこれを「100年の眠り」へ変えるのに成功する。そこまでなら分かるが、なぜか姫だけではなく城の全員が眠りにつく。



人間1人を殺す魔法なら通常ありえる(?)だろうが、少なく見積もっても数十人以上の人間を100年生かしたまま眠らせる魔法、は人間が放つ力としてはあまりに強力過ぎる。しかも(おそらく)術者らの死後もかかり続ける。

眠りの魔法も問題だが、城を守るように生えてくるイバラはもっと問題だ。いったいこれはどこから出てきたのだろう?普通に考えれば白魔道士たちが城を守るために放ったと考えられるが、近付く者を捕らえて死に至らしめるなどやることが禍々しい

ならば黒魔法由来なのかと言うと、本来姫を殺すはずだった呪いが城を守るのはおかしい。 つまりイバラはもともと人為的に条件付けされていない、物語の中核に元からある根源的な存在なのだ。

『いばら姫』の別名があるように、この物語を構成する主役は不思議なイバラである。しかし前半の巧緻な物語のせいでかえってイバラは正体不明のまま取り残される。前日譚を思いつくまま充実させていったら肝心の本編と辻褄が合わなくなった、なんていう作品、時々ありますね。例えば超有名スペースオペラのシリーズとか。


物語を太らせたせいで怪しくなった王子の存在


物語では何人たりとも寄せ付けなかったイバラがあたかも王子だけを迎え入れようとしているように読める。しかし「100年の眠り」という設定が後から加わった(注:あくまでここでの仮説です)ことにより、王子は「選ばれし者」ではなくなった。つまりこいつはちょうどこのタイミングでここに来た奴というだけに過ぎないのだ!

王子は姫をキスで目覚めさせるが、これも別にキスに不思議な力があるわけではない。「100年設定」のおかげで単に起き抜けを襲っただけということになってしまう。



だいたいこの男は王子などという、やんごとなきご身分のくせに従者も連れずなぜ一人でふらふらやってくるのか。本当に「王子」なのか?この物語の別バージョンでは連れてきた従者はイバラに絡め取られたというものもあるのだが、それならそれで従者救出より女ゲットを優先する姿勢には問題があるし、なにより嘘くさい


シンデレラ・コンプレックスの男版


女性が「いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる」と夢想し続けることを「シンデレラ・コンプレックス」と言う。そしてもしその男版があるとすれば、この『眠り姫』であろう。男が抱く「眠り姫コンプレックス」とはつまりこういうものである。

この世界のどこかに僕だけを待って眠り続けている姫がいる

男がこの幻想をきちんと自覚して踏み越えていくことは意外に難事であるし、伝統的社会ではむしろこの幻想を捨てさせずに社会的に成就させようとすらする。『シンデレラ』の原典では最後にいじわる姉妹らが残虐な刑を受けるなど女の情念が詰まっているが、『眠り姫』があらわにするのは男の「甘さ」である。

この「王子」と称する男は労せず女と地位を手に入れる。自らはなんの努力もしないし、シンデレラのような受動的な苦労もない。イバラは道を開けてくれるし、勝手にキスした姫は結婚してくれる。そして「皆を目覚めさせた」功績で一国の婿に収まる。つまり相手の親の承諾を得る必要すらないのだ。

そう、姫だけではなく城の全員が眠ってしまうのはこのためだったのである。



「なんの変哲もない普通の男がいきなり女・地位・金・権力・スーパーパワー諸々手に入れる」という物語は昨今でも繁栄を極めているが、あれは何も漫画やアニメ、ゲームやラノベの影響で昨日今日生まれたものではない。はるか昔のおとぎ話にも立派に(?)存在し、それが綿々と伝承されているに過ぎないのだ。


この物語は男の甘い夢の伝承を、誰かが一生懸命知恵巡らして脚色して巧緻に仕上げたものに違いない。しかし「いばら」に対してはなんの理由付けも出来ず手が出なかったところが興味深い。

城にやってきた「王子(と称する男)」が王子になれるか、それとも惨殺されるかは「いばら」の思惑(?)次第であり、「いばら」を理解することも、これに抵抗することもできない。「いばら」は男の夢や屁理屈とは関係なく物語の支配者として君臨し、「王子」は「いばら」に支配されている。それは女性の献身に依存して成り立つ家父長制の男の姿であり、君臨すれども統治される安逸な古き良き時代への回帰願望でもある。

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イラストを描くにあたっては以上に挙げたこの物語最大の問題点を糊塗するため、王子は武装した長身の美丈夫に描いて、あたかも自力で道を切り開いた勇者であるかのように表現した。

いや~、グリム童話って、本当におそろしいですね。

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