印象派画家の来歴には必ず登場するのがこの人。ずっと印象派グループの中心であり続けた。もしこの人格者がいなければ、我の強い天才どもはもっと早く仲違いを始めて後に続く者達も苦労したに違いない。
ピサロが影響を受けたとされる画家を並べていくと、クールベ、コロー、ミレー、アングル、 30歳近く年下のスーラ、そしてもちろん印象派仲間と、ありとあらゆる様式の画家が並ぶ。おそらく誰からも学ぼうとする謙虚な人だったのだろう。それでいて自分が描く絵には一貫したスタイルがあるように感じられる。
『曳船道』(1864年)
初期の作品。ピサロは生涯印象派として戸外の風景を描くことが多かったが、明るい陽光を描くのはそれほど得意ではなかった気がする。真昼より昼下がり、夏より秋冬、晴れより曇り。強い光の下で描いたものもいくつかあるがどうしても画面が平たくなる。この人の領分は淡い光の世界だった。
『ルーヴシエンヌのヴォワザン通り』(
1871年)
晩秋の田舎町を行きかう人々。冷たい空気に暖かい陽光が差して溶けていくような地味な街並みが美しい。ドガやルノワールは動いている人物の一瞬をとらえる。マネやセザンヌは静止した人物に永遠性を与える。そしてピサロの描く人物は・・・ゆったり動いている。
ピサロの描く人物達は超越的な主役にはならないかわりに単なる風景の中のオブジェにもならない。ピサロは芸術家である前にあくまで普通の人間であり、常にそうした普通の人間に対する眼差しが感じられる。
『テアトル・フランセ広場、雨の効果』(1898年)
雨の曇り空に白っぽい建物と道、その中に点々と並ぶ19世紀の黒い服の人々と馬車。白と黒のコントラストが雨を仲立ちにして溶け合っている。一見粗いタッチはよく見ると隅々にまで行き届き、馬の一頭一頭にまで筆使いに敬意が払われている。にぎやかな街の風景が雨のカーテンによって静かに落ち着いた営みに変わる。
見たままを描く印象派は基本的にデフォルメや再構成を行わない。筆致がそれに代わるからである。 何をどう見るかですべてが決まる。当時としては長く生きたピサロは、生涯学び続けることで自らの「眼」を見出した。彼は天才ではなかったかもしれないが、生身の天才達から直接学び続けてその人間性によって彼らを結び付ける役割を果たした。そして自身も価値あるものを歴史に残すことになった。
印象派二軍列伝 1:フレデリック・バジール
印象派二軍列伝 2:カミーユ・ピサロ
印象派二軍列伝 3:アルフレッド・シスレー
印象派二軍列伝 4:ギュスターヴ・カイユボット
印象派二軍列伝 5:メアリー・カサット
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